丁寧な嘘

 ちょっと前に「これから国民に丁寧に説明をしていく」と言った人がいましたね。で、丁寧どころか、説明自体がない場合、その言葉はどう捉えたら良いのでしょう?

【ただいま読書中】『自生の夢』飛浩隆 著、 河出書房新社、2016年、1600円(税別)

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目次:「海の指」「星窓 remixed version」「#銀の匙」「曠野にて」「自生の夢」「野生の誌藻」「はるかな響き」「ノート」

 「海の指」……「灰洋(うみ)」と呼ばれる怪奇な現象によって滅びかけている世界。かつてあった海洋に置き換わった灰洋に触れると、あらゆる物質はバラバラの情報に還元されてしまうのです。死んだことに気づいていないらしい志津子の前の夫。灰洋から「音」によってかつての人類が持っていたものを情報から物質に還元する作業に従事する志津子の今の夫。かろうじて残された島を定期的に襲う「海の指」。実に不思議で救いのない世界観です。

 「星窓」……「星窓」とは、宇宙のどこかをリアルタイムで覗くことができるツールらしいのですが、こちらにも「死んだことに気づいていないらしい人」が登場します。そして、ブラックホールのようにすべての情報を飲み込んでしまう「星窓」に魅入られた人は……

 「#銀の匙」「曠野にて」……AR(複合現実)のかわりに普及したBI(最低保障情報環境基盤)では、社会保障の一部として情報環境へのアクセスが公的に保証されていました。その中に生まれ落ちた子供たちは、最初からデジタル情報の海を「自分のもの」として活用しています。アクセスできる公的私的な情報源をいくらでも参照して「自分の言葉で構成された世界」を“リアル”に構築できるのです。さらに、そこで生まれた天才詩人が「言葉(情報)の悲劇」によって破滅する姿が「自生の夢」に登場します。

 かつて「情報」は、目の前の人が喋る言葉か紙などに固定されたものとして人々に提示されていました。それが現在は目の前にいない人が喋る言葉や、画面に流動的にあらわれるものとして扱われるようになりました。「文字」でさえ「流動的な画像情報」でしかなくなっているのではないか、と私は感じます。ただ、私は「過去の遺物」なので「文字が流動的な存在になりつつある」と意識できますが、デジタル世代はそれさえ意識せずに情報の海の中を漂っていることでしょう。その世界でこれからどんどん生まれる「詩」や「小説」や「エッセイ」はおそらく20世紀までのものとは質的に違ったものになるはず、ということを本書では描こうとしているのではないか、と私には読めました。本書はまだ「SF」ですが、21世紀の後半には「ただの一般小説」になっているでしょうし、その媒体はもう紙ではなくなっている可能性が大です。

 むかしむかし、映画が登場した頃、画面に映る蒸気機関車が自分に向かって突進してくる姿を見て観衆は逃げ惑ったそうです。それと同様に、私は「21世紀のブンガク」に直面したとき、「逃げ惑う」だけになるかもしれない、といういやな予感がします。ついて行けるかな?というか、ついて行くべきかな?

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