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◆伊豆急「1両だけで走る旧型電車」復活の狙い   ◆伊豆に「豪華観光列車」を投入する東急の思惑

伊豆急「1両だけで走る旧型電車」復活の狙い  観光客の人気呼ぶ開業時からの「クモハ103」

東洋経済オンライン】 03/26

池口 英司:鉄道ライター、カメラマン

 静岡県伊豆半島を走る私鉄、伊豆急行が、同社の開業時から運転した旧形車100系クモハ103を復活させ、再度の営業運転に就役させたのは2011年11月のことだった。

長く同社のシンボル的存在として親しまれ、今日では数少なくなった1両の両側に運転台のある「両運転台」の電車復活は鉄道ファンを喜ばせた。

 だが、1両での運転を主とする電車の復活は、採算性の問題など、営業面では不利な条件も少なくないように思われる。

それでも敢えて、オールドタイマーの復活が進められたのはなぜか。

その狙いを伺った。

● 画期的だった「爽やかな塗装」

 伊豆半島東海岸を走る伊豆急行が開業したのは、1961年12月10日のことであった。

幾つもの温泉地のある伊豆半島は首都圏からも近く、東海地方屈指の観光地に発展する可能性を秘めていたが、山が海岸線近くまで続く地形から交通の便は悪く、発展は遅れていた。

それだけに、伊豆半島東部を南北に貫く伊豆急行の開業は、地元の人々を大いに喜ばせたのである。

 この鉄道が開業時から運転したのが、100系と呼ばれる電車だった。

冷房装置こそ搭載されていなかったものの、設計には新技術を積極的に採り入れ、居住性は当時の国鉄急行形電車に匹敵し、私鉄では珍しい1等車(後のグリーン車)や、食堂車までがラインナップされていた。

 大窓を配したスマートな車体や、オーシャングリーン、ハワイアンブルーと称される明るい青を主体とした車体塗色は、観光路線にふさわしい爽やかなイメージのもので、汚れが目立つことのない暗い色に塗られるのが一般的だったそれまでの電車の通例を打ち破り、利用客を大いに驚かせたのである。

 しかし、この100系グループも、1990年代になると老朽化が顕著になり、後継車種への置き換えが進められるようになった。

そして、2002年4月には、全車が営業運転を終了したのである。

 それでもただ1両、伊豆急線の線路の上に残された100系電車があった。

クモハ103がそれで、この車両は車体の両側に運転台が設けられていたことから運転には重宝で、機関車に代わる入れ換え運転用の車両として、車両基地に残されていたのである。

 現在、伊豆急行の企画部長を務める比企恒裕さんは、引退後のクモハ103についてこう語る。

「営業運転を退いた後のクモハ103は、主に伊豆高原駅に隣接する車庫内での入れ換えに使用されていました。 この車庫の検査線は有効長が4両分しかありません。 けれども当社の2100系『リゾート21』は7〜8両編成ですから、検査時にはこれを分割して、検査線に押し込む必要があります。 そのような時にクモハ103が便利な存在となっていたのです」

 このクモハ103が営業運転に復活したのは2011年11月のことであった。

それは勿論、文化的にも存在価値のある旧形電車を活用し、新たな輸送需要を喚起しようという活性化策の一環であったが、ファンの高い人気を誇っていた車両であったにせよ、現役を退いてからずいぶんと時間が経っていた電車の突然の現役復帰は、ファンを大いに驚かせたのである。

● 震災で打撃受けた観光の目玉に

 しかし、クモハ103の復活までの道のりは、決して平坦なものではなかったという。

 「2011年という年が当社にとって開業50周年に当たっていたことから、12月10日の開業の日に向けて何か記念事業を行いたいという機運が高まっていました」。

ところが、この年の3月に東日本大震災が発生。

伊豆半島にも観光面で多大な影響を及ぼすこととなった。

 「この時には計画停電が行われるなどして、伊豆半島全体の観光事業も大きな打撃を受けました。 そこで集客が期待できる事業として、クモハ103を営業線上で運転しようというアイディアが浮上したのです。 このような事業は実現に困難が伴うものなのですが、この時は当時の社長が『せっかくの会社の財産を活かそう』と、強いリーダーシップが発揮されて、復原工事が開始されたのです」。

比企さんは、クモハ103号復活の第一歩が印された当時のことをこう振り返る。

 クモハ103は、現代の鉄道では希少な存在となった両運転台付きの車両だ。

この電車が1両のみで本線上を走ることが鉄道ファンを喜ばせることは容易に想像ができたが、その前に採算性の問題という大きな関門が立ちふさがった。

 「クモハ103号は1両で運転される電車ですから、それを復活させてお客様を乗せて走っても採算が取れるのか、という議論は当然生まれるわけです。 鉄道という交通機関は、多くのお客様に長い距離を乗ってもらって、初めて利益が出る。 仮にクモハ103に50人乗ってもらったとしても、運転士と車掌の手配は長い編成の列車と同じですし、単行(1両)で走る電車は、採算性で不利なことも多いのですね」と比企さん。

 しかし、クモハ103を、形がまるで違うほかの電車と連結させたとしても、伊豆急行の開業時を偲ぶことは難しいだろう。

クモハ103は、やはり単独で走行してこそ、復活の価値がある。

だが、鉄道ファンであれば拍手喝采間違いなしの企画であっても、会社の事業ということになれば、その推進には多方面を説得するだけの希求力が求められることになる。

クモハ103が、いわゆる“古くさい形をしたチョコレート色の電車”ではないことも、逆に不安の材料となった。

 「クモハ103を“レトロ電車”と説明しても、一般的にはそれが通じないのですね(笑)。 そのような中でも、社長のリーダーシップがあって、とにかく電車は復活した。 すると次には、これをどう活用するのか、という課題が生まれてくるわけです。 営業的には『年間に何日間動かして、どう集客をして、どう償却を進めてゆくのか』という部分をクリアーしなければならないのですね。 当社の主力である2100系『リゾート21』に連結して走らせることも検討しました。 しかし、これには技術的な課題もあって、やはりクモハ103は1両で走らせるしかない、ということになったのです」

● 営業面だけではなかった懸念

 実際には、復原工事も一筋縄では行かず、改めて点検をしてみると、車内のあちこちには穴が開き、難問をひとつひとつ潰してゆく作業が繰り返されたのだという。

幸いだったのは、入換用とはいってもクモハ103が稼働状態にあったことから、電車として動くために必要な部分が劣化を免れていたことと、クモハ103と同形のクモハ100形を、保存を目的として所有していた車両メーカーがあり、この車両が解体された時に部品を融通することができたことだった。

 だが、懸念は営業面以外にもあった。

「何か電気品に不具合が生じた時に、電車が立ち往生してダイヤを乱す可能性があるのではないか、という点が懸念されました」と比企さんはいう。

 集客、収益性以上に、安全運行を妨げる可能性があるということになると、これが懸案となるのは鉄道会社としては当然のことであった。

 「現代の電車は、基本的には1編成中に複数の電動車ユニットが組み込まれていますから、仮に1つの電動車ユニットが故障しても、他の電動車の力で動かすことができる。 けれどもクモハ103 は1両きりで動く電車ですから、故障があったら、即、他の列車を仕立てて、これを救援に向かわさなければならない。 これはダイヤ構成上では大きなネックと考えられることでした」

 それでもクモハ103が営業運転に至ったのは、車両の保守、管理を行う現場の頑張りも大きかったのだという。

「幸いなことに、運転を開始した後のクモハ103の電気品は、抵抗器の故障が1回あっただけでした」と比企さんは語る。

● ついに復活 「冷房なし」も魅力に

 こうして2011年11月、クモハ103はついに復活を遂げた。

 「営業面では、クモハ103は貸切での運転を考えていましたが、特に運転開始後しばらくの間は、十分な集客はできませんでしたから、色々な手を打って、集客に努めました。 それは例えば、沿線のあじさい祭りの時期に『あじさい祭り号』と銘打って臨時列車として運転し、一般の乗客の誘致を図るといった具合でした。 嬉しかったのは、多くの同業他社の方がクモハ103の復活運転に理解を示してくれ、貸切電車としてご乗車いただけたことでした」

 営業運転開始後のクモハ103は、映画のロケなどに駆り出されることも多くなったという。

現代の、銀色のフラットな形の電車とは異なる味わいは、確かにクモハ103の大きな魅力であるに違いない。

 「もう一つ、私たちが想像しなかった嬉しい誤算には、クモハ103が非冷房で、窓が開くということが、乗客の皆さんには魅力と映ったことでした。 窓を開けて、風を感じながら走る電車が、もう首都圏にはほとんどないのですね。 実際の営業運転では『トンネル内では窓をお閉め下さい』というような車内放送を行っておりますが、これも昔の鉄道旅行の姿に思いを馳せるのには、良いことなのかもしれません」

 復活したクモハ103は、臨時列車や貸し切り運転に加え、ツアーにも活用されているという。

貴重な車両を活かした集客の一環だ。

 「一口に集客と申しましても、いろいろな形態が考えられます。 私たち伊豆急行の人間にとっては、伊東までやって来たお客様には、さらに稲取、下田へと足を延ばして頂きたい。 そこで、電車を定期観光バスのような形で運転するツアーも実施しました。 クモハ103に乗って、沿線の幾つもの観光スポットを順にまわっていただく。 最初は下り電車に乗っていただき、伊豆稲取駅で一度下車してお寺を訪ねる。 電車に戻ってきたら、車内で駅弁を楽しみながら、今度は下田に向かう。 そして帰りの電車では車内でスイーツを楽しみ、今度は伊豆熱川駅で下車して日帰り入浴を楽しむというような行程です」

 当初はなかなか集客に結びつかなかったというこのツアー企画だが、認知度が高まってからは、毎回ほぼ満席の状況だという。

 「このツアーの今年4月以降の計画は今のところ未定なのですが、追って社内で検討されることになります。 この列車の運転に際しては、地元のハーブガーデンの生産者さんに列車に乗って頂いて、車内でお話を頂くなどの趣向を凝らしています」

 今後のクモハ103の運転について、比企さんは「これからも可能な限り続ける予定でおります。 ただし、それをどのような企画で運転するのかについては、先ほどのツアーとしての運転と同じように、これから社内で打ち合わせを行って詳細を詰めてゆくことになります」という。

地域活性化・集客環境づくりの中心に

 では、1両のみという輸送力の限られた電車での企画を続ける鍵とは、どこにあるのだろうか。比企さんはいう。

 「私どもがクモハ103を復活させたのは、まず集客力を見込んだということ。 それから、この電車が、走行関連機器、電気品などに今日のものとしては古いシステムを採用しており、これを保守、管理することが、現場スタッフの技術を高め、次世代への技術の伝承を可能にすると考えられたからでした」

 さらに比企さんは、クモハ103復活運転がもたらす地域への効果についてこう語る。

 「クモハ103を主役に据えてのイベントを開催するにあたって私たちが心していることは、単に電車1両を動かして集客すればよいというのではなく、運転を通じて、地元の人たちが自らの手で地域活性化の方策を見出し、積極的に行動するようになれば良いということです。 クモハ103の運転は、あくまでもそのための一助であるという考え方です。 いちばん大切なことは、地元の方が能動的に行動するようになること。 私たち鉄道会社は、そのための環境づくりをすることが仕事であり、その中心に位置しているのが、クモハ103であるということです」

 クモハ103が復活を果たしたとき、いちばん喜んだのは、昔を知るオールドファンではなく、100系が健在だった時代を本でしか知らなかった若い層であったという。

鉄道車両には時代、世代を超えて、多くの人に鉄道の魅力とは何かということを語りかける、強い力が宿っている。ク

モハ103の活躍は、これからも続くことだろう。

      ◇◇◇

池口 英司(いけぐち えいじ)

鉄道ライター、カメラマン

1956年(昭和31)東京生まれ。

日本大学藝術学部写真学科卒業後、出版社勤務を経て独立。

著書に『国鉄のスピード史―スピードアップがもたらした未来への足跡』(2005年:イカロス出版)、『鉄道時計ものがたり―いつの時代も鉄道員の“相棒”』(2010年:交通新聞社新書)など。

記事一覧 http://toyokeizai.net/list/author/%E6%B1%A0%E5%8F%A3_%E8%8B%B1%E5%8F%B8

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◆伊豆に「豪華観光列車」を投入する東急の思惑  「水戸岡デザイン」は社長の希望だった

東洋経済オンライン】 2016. 11/24

小佐野 景寿 :東洋経済 記者

 今や全国各地の鉄道に広がった観光列車。

眺望を重視した車両や豪華な設備を誇る車両など種類は様々だが、その先駆けとなった列車の一つが、伊豆半島を走る伊豆急行の「リゾート21」だ。

階段状に並んだ先頭車の展望席や海側を向いたシートなど、それまでの列車にはなかった工夫を盛り込んで1985年に登場。改良を重ねながら計5本が導入され、伊豆観光の最盛期を彩った。

 この「観光列車のパイオニア」というべき車両を一新した新たな観光列車が、2017年夏から横浜と伊豆急下田を結んで走り出す。

列車名は「THE ROYAL EXPRESS(ザ・ロイヤルエクスプレス)」。

内外装のデザインを担当するのは、JR九州の豪華列車「ななつ星in九州」などで知られる水戸岡鋭冶氏だ。

「新しい観光列車は、60年に及ぶ伊豆への思いの結晶です」。

11月17日に開かれた発表記者会見で、伊豆急の親会社である東急電鉄の野本弘文社長はこう語った。

●伊豆観光の復活へ「一番効果がある」

 今回の観光列車は、伊豆急だけでなく東急グループとしての取り組みだ。

東急と伊豆の関わりは長く、急峻な地形から鉄道網に恵まれなかった伊豆半島への鉄道建設を実現に導いたのは、東急電鉄創業者の五島慶太だ。

同社が伊豆半島東海岸に鉄道の敷設免許を申請したのは、今からちょうど60年前の1956年。

難工事を経てその5年後に開業した伊豆急は、伊豆観光の牽引役としての役割を担ってきた。

 だが、1980年代末の全盛期には年間6000万人を越える観光客で賑わった伊豆エリアも、景気の低迷や相次ぐ地震の影響などで、2000年代後半には4000万人を割るまでに減少。

近年は約4500万人まで持ち直しているものの、地域の観光活性化は大きな課題となっている。

 東急グループも活性化に向け、新たな名産品化を目指したオリーブ栽培などの取り組みを行ってきた。

その中で、「もっと早く伊豆が元気になってもらうためには何が必要かを考え、一番効果があると思える最大のもの」(野本社長)として決めたのが、新たな観光列車の導入だ。

 ザ・ロイヤルエクスプレスは、伊豆急の観光列車リゾート21のうち、5本目として1993年に登場した「アルファ・リゾート21」を改造する。

列車は8両編成で「国内を走る観光列車では最長の編成」(東急電鉄事業推進部・竹内智子統括部長)というゆとりが売りだ。

列車名は野本社長自らが決めたといい、デザインについても「名前を思いついた時に、これをデザインするのは水戸岡先生しかいないと、お忙しい中お願いした」(野本社長)という。

 8両のうち、客席となるのは1・2・7・8号車の4両のみで、定員は約100人。

先頭車の展望席のうち、8号車については「(本を置いた)ライブラリーにしたい」と水戸岡氏。

反対側の先頭車である1号車はファミリー向けとして、子供の遊び場なども設けたインテリアとする予定だ。

 客席以外の車両については、4号車がキッチンカー、5・6号車が食堂車。

6号車には「社長の希望で」(水戸岡氏)伊豆の新鮮なネタを使った寿司が楽しめるカウンターも設置するという。

客席で食事を提供するのではなく、あえて食堂車を別に設けているのは、車内を移動することで一回の乗車でも様々な楽しみ方をしてもらうことが狙いだという。

●最大の特徴は「マルチスペース」

 そして、この列車の最大の特徴と位置付けられているのは3号車だ。

「マルチスペース」と名付けられたこの車両は、1両全体がフリースペースとなっており、ミニコンサートの開催や結婚式、ギャラリー、会食など様々な用途に使えるという。

水戸岡氏が「ずっとやりたかったが、これまで実現しなかった」という車両だ。

「お祭りでも映画でもあらゆるものができる。 そういった車両があることによって、列車ではなく街が動いているのと同じになる」と、水戸岡氏はマルチスペースを設ける意義について語る。

 インテリアのデザインについては「床も壁も天井も可能な限り木を使い、森の中にいるような感じになるよう考えている」(水戸岡氏)。

ロイヤルブルーに金のラインという外観とともに、クラシックなイメージの室内に仕上がる予定だ。

 伊豆急といえば海沿いを走る路線のイメージだが、水戸岡氏がデザインの上で意識したのは眺望性ではなく、むしろ逆に「海が見えなくても心地いい旅ができる車両」だという。

実際、伊豆急線は険しい地形のためトンネルが多く、海が見える区間は決して多くない。

「海が見えるのは一瞬。 だから中をしっかりデザインして、車内を楽しんでもらう」という発想だ。

●多くの人に理解される心地よい空間を

 水戸岡氏は、地域に密着した観光列車だからといって、デザインに地域性を反映することは特に考えないという。

「それよりも、その地域を十分に再認識できるような心地よい空間をつくることが大事」との考えからだ。

 そのために重要なのは、世界の多くの人に理解され、納得される普遍的なデザインだ。

結果として、クラシックなデザインの車両が生まれるのだという。

「観光地でせっかくなら老舗のレストランに行きたいという人が多いように、多くの人は長い歴史や伝統、文化を感じるところを心地よく感じる。 音楽だってクラシックを聴く人が多いじゃないですか」と水戸岡氏はいう。

 運行開始にあたっては、発着駅となる横浜駅に乗客専用ラウンジを併設したカフェを新設。

伊豆急下田駅とロープウェイで結ばれている寝姿山山頂の店舗も改装するが、これらのデザインも水戸岡氏が手がける。

さらに、バイオリニストの大迫淳英氏によるオリジナルのテーマ曲もつくられた。

 念願だったというマルチスペースをはじめ「これまでできなかったことがいっぱい入っている」というザ・ロイヤルエクスプレスは「水戸岡デザイン」の集大成的な列車となりそうだ。

 列車は週2回程度の運行を予定。

伊豆急JR東日本が運行を担い、車内サービスは東急が担当する。

料金は2コースを設け、食事込みで2万〜3万円程度となる見込みだ。

横浜−伊豆急下田間の所要時間は約3時間。東京側の発着駅を横浜としたのは、東横線が乗り入れていることで東急沿線との接点となることは勿論「乗車時間が長くなりすぎると敬遠される可能性もあり、3時間程度の旅がいい」(竹内氏)ことも理由だという。

 今回の投資額は非公表だが「小さいビル一つくらい」(野本社長)。

車両だけでなくカフェ・ラウンジ設置や店舗改装などを含めれば、それなりの額であることは間違いないだろう。

観光列車の運行開始に先立ち、来年3月には下田東急ホテルもリニューアルオープンする。

伊豆観光の活性化にかける東急の意気込みがうかがえる。

しかし、列車の運行は週2回程度、しかも乗客数は各回100人だ。

果たして投資に見合う効果はあるのだろうか。

●観光列車単体で儲けなくてもいい

 この問いに対して野本社長は「観光列車というのは一つの文化を走らせること。 それだけで儲かるとは決して思っていない。 列車そのもので利益を出すというよりは、これで伊豆が元気になることが重要」と力を込める。

 「渋谷ヒカリエの『シアターオーブ』(劇場)もあれだけで利益は出ないが、ヒカリエ全体としては利益が出る。 横浜からこの列車が走ることによって東急の沿線と伊豆が一体になり、地域への経済効果をもたらすことで我々の施設もうるおっていけばいい」と野本社長。

鉄道と沿線開発を一体で行うことに長け、さらには伊豆急を中心に伊豆地域にグループ会社を多く抱える東急グループならではの目論みだろう。

 今年7月には小田原と伊豆急下田を結ぶJR東日本の観光列車「伊豆クレイル」が運行を開始し、伊豆半島の観光は再び注目を集めつつある。

「街が走るような」(水戸岡氏)観光列車を目指すザ・ロイヤルエクスプレス。

鉄道を軸とした街づくりで多くの実績を持つ東急グループによる「走る街」づくりは、伊豆の観光に再び元気をもたらすことになるだろうか。

      ◇◇◇

小佐野 景寿(おさの かげとし)

東洋経済 記者

1978年生まれ。

地方紙記者を経て2013年に独立。

小佐野カゲトシのペンネームで国内の鉄道計画や海外の鉄道事情をテーマに取材・執筆。

2015年11月から東洋経済新報社記者

記事一覧 http://toyokeizai.net/list/author/%E5%B0%8F%E4%BD%90%E9%87%8E_%E6%99%AF%E5%AF%BF